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瘤取

Fairy701 左は、弘文社(長谷川武次郎)の縮緬(チリメン)本で、明治十九年六月一日第一版発行・大正十年二月一日第十五版印刷・同年同月二十日発行の日本昔噺第七号・英語版『The Old Man And The Devils(瘤取)』の表紙です。サイズは150mm×100mm。表紙には、木の幹の穴に隠れるお爺さんと松明をかかげて集まってくる鬼やもののけ達が描かれています。

 話の発端は、雨風が強くなって樵仕事から帰ることができなくなったお爺さんが一夜の宿りをとっていたところ、お酒を飲み、騒ぎ、踊る鬼達を目撃し、ついその輪に交じって腰に斧を差す剽軽な踊りを見せ、鬼達を大いに喜ばせたことです。鬼達はお爺さんの踊りがまた見たいと、次ぎに来るまでお爺さんの右の頬にある瘤を預かっておくことにしたとあります。

 そして、その話を聞いた左の頬に瘤のあるお爺さんの登場で、物語は次ぎに進みます。その瘤を取ってもらいたいと山に出かけ、先のお爺さんと同様に鬼達に踊りを見せたのですが、あまりにも踊りが下手だったので、もう来なくてよいと右の頬に瘤を戻されてしまったという顛末です。両方の頬に瘤ができ、本当に小太り(?)のお爺さんになってしまったのです。

 異界の者やもののけ達を、踊りによって慰撫するということが主題になっている昔話です。鬼と見えるものも、喜ばしてあげれば、喜ばせた者に護報があり、神として振る舞うという意味で、怨霊信仰に基づいているのでしょうね。したがって、中途半端な慰撫では、祟りが発生することになります。

 踊るという行為によって、鬼神も含めた神々を慰撫できるのであれば、庶民の心情の中にある鬼やもののけなど異界の者達は、決して一面的に悪の存在ではないと考えられます。その意味で、英訳のDevil(悪魔)は正確な訳ではないですね。

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俵藤太

Fairy15  左の資料は、前回に続き、弘文社(長谷川武次郎)の縮緬(チリメン)本で、明治廿年九月廿八日版権免許の日本昔噺15号・英語版『My Lord Bag-O'-Rice (俵藤太)』です。王堂チヤンプレン(Chamberlain)著となっていますが、今日流に言えば、チェンバレン英訳ということでしょう。サイズは150mm×94mm。

 湖(琵琶湖)に住む水の精(大蛇)の願いで、山(三上山)に棲む大百足をある英雄(藤原秀郷)が弓矢で退治し、その結果、数々の宝物を手に入れ、中に尽きることのない米俵があったことから、俵藤太と呼ばれたという伝説の紹介です。藤原秀郷は実在の人物で、平将門を滅ぼした武勇の人です。

 大百足を弓矢で退治するという表現は、鉱山民俗学の視点では、百足=金属資源を、射る=鋳るという行為の暗示で、山を治めたという意味になります。鉱山開発の成功から多くの宝を得ることができるのも当然ですが、ただ一点、それがなぜ尽きることのない米俵なのかという問題は残ります。ただし、これが米ではなく、炭俵とすると、炭を利用しての酸化還元法による金属抽出という意味になり、尽きることのない金銀財宝を生み出す(炭)俵も論理一貫するのではないでしょうか?炭焼藤太の伝説です。

 鉱山開発による公害で湖が汚染され、水の精(大蛇)が助けを求めるのは近代的考えであって、当時としては無理な思考であるという意見もあるようですが、開発や炭焼きのため木々が伐採されれば、山は荒れ、結果としてやはり水は汚れます。この辺りの循環を水の精(大蛇)に代弁させているのでないしょうか。赤城神社のホームページには、「中門の前には、俵藤太が献木したと伝えられるタワラ杉が聳えている」という記述もあり、俵藤太は山を荒らさない鉱山開発に成功した人物の象徴なのかもしれません。

 ちなみに、水の精(大蛇)は砂金や砂鉄など水流を利用した金属資源採取のシンボルであるという考えもあるようです。いずれにしろ、俵(藤太)は米俵ではなく、炭俵であるという推理です。

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