一光三尊仏
大分以前のことになりますが、義母の法事を札幌市で行った際、宗派が真宗高田派であるということを聞いたことがありました。初めて聞いた名でしたから、特に記憶に残りました。そこで、最近、右の三代豊国の浮世絵(三枚続)に出会い、調べてみるとおもしろいことに気付きました。
真宗高田派の総本山は、現在、三重県の津市にあるそうです。実は、義父の父は三重県の津市出身で、戦前、旧国鉄の職員となり、最終地を北海道で迎え、そのまま、北海道に定住したそうです。つまり、出身地の習俗をそのまま、北海道まで伝えたということになります。
ところで、津市にあるのに、なぜ高田派というかといえば、もともと、本山が栃木県の二宮町高田にあったので、その山号・高田山に由来しています。右の浮世絵に描かれる立札に、「下野国 高田山」とあるのがそれに当たります。ここでは、元本山と呼んでおきます。
さて、この元本山は、関東布教の根拠地として浄土真宗の開祖・親鸞によって建立された寺として知られ、その本尊が信州善光寺の本尊である秘仏を模した一光三尊仏なのです。浮世絵には、「信州善光寺如来一躰分身」と書かれています。善光寺に由来する一光三尊仏を本尊とするということで、話は振り出しに戻って、善光寺の地に住む私達家族まで繋がるのです。
浮世絵の説明として、是非とも加えておかなければならないのは、当作品は、本尊などを他所に持ち出して開帳する、「出開帳」(でかいちょう)を描くものである点です。出開帳は、寺社が建物等の建設・維持管理などのための資金捻出方法で、高田派の場合は、本山と元本山とに別れ、資金能力が落ちてしまったことに対する苦心の策なのだと思われます。出開帳を成功させるためには、「信州善光寺如来一躰分身」は大きな役割を果たしたものと想像されます。
出開帳は、安政六年「未年三月廿一日より五十日之間」「浅草唯念寺」 で行われたとあり、当時の様子を記録する『武江年表』安政六年の項にも、「参詣多し」とあります。上の作品は、安政五年八月の年月印が押されていますから、半年ほど前からの予告作品ということができます。浮世絵が宣伝広告の機能を果たした例です。
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