亀戸と浮世絵
江戸時代、亀戸にあった梅園を広重が『名所江戸百景』として描き、それを印象派の画家ゴッホが模写したことに触れるブログを書きましたが、お陰様で、息子のファンの方からコメントまでいただいたり、若い人にも多少の感銘を持っていただけたようです。
ただし、浮世絵師との関連では、広重と同時代、亀戸には、もっと高名な絵師が住していたことを忘れていました。「亀戸豊国」とも呼ばれた、江戸後期歌川派の総帥「歌川(三代)豊国」です。はじめ、本所のアトリエでは「五渡亭」を、亀戸では「香蝶楼」を書斎(仕事場)の名として使用していたようですが、亀戸ではもう一つこんな落款が使用されています。すなわち、「北梅戸」というものです。
これは、まさに、梅で有名であった亀戸の地にて絵を描きあげた際のものです。たぶん、梅の花咲く二月頃(旧暦)、当地で仕事をした折り使用したのでしょう。言葉とはおもしろいものです。いろいろなイメージがふくらんできます。
さて、「亀戸豊国」と呼ばれるのには理由があって、実は「本郷豊国」と区別するためで、今日、亀戸豊国を三代豊国、本郷豊国を二代豊国と呼んで区別しています。豊国襲名を巡っていささかの問題があって、このようなややこしい呼び名が生まれていますが、亀戸が浮世絵あるいは浮世絵師と係わり深い地であることには変わりありません。
私は見聞したことはありませんが、、「北梅戸」の他に、「桃樹園」という落款もあるそうです。ということは、おそらく、亀戸には梅だけではなく、綺麗な桃の花園もあり、三月(旧暦)に仕事を完了したのでしょう。BLuckが亀戸で公演した5月25日は、旧暦では4月9日に当たり、3月3日桃の節句から一月、いよいよ初夏への入口です。当日は雨でしたが、これも慈雨です。二十四節気の「小満」の頃。草木がそこそこの大きさに育つ意です。
季節もBLuckもまだまだ成長の過程です。
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