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2007年6月12日 (火)

山本勘助(5)

Kenshin NHK大河ドラマの『山本勘助』にいよいよ、Gackt上杉謙信が登場します。当地(長野県飯綱町) は新潟県境に近いので、信玄よりは謙信に親しみを感じています。

 左の浮世絵は、歌川芳年(一魁斎)描く謙信像で、上杉家の家紋の入った法衣、桐をデザインした兜姿です。美男に描かれています。改印よりすると明治元年の版行となっていますから、幕府再興を願い、天皇家にも忠実であった謙信は王政復古がなった時節には格好の題材です。

 謙信が手を翳して遠くを見やる風に描かれているのは、背景の城から立ち上る煙とも考え合わせると、第四回川中島合戦において勘助の「きつつき戦法」を見破った瞬間と思われます。すなわち、煮炊きの煙から武田軍が動くのを悟った故事です。

 しかし、戦上手の信玄が上杉陣営に簡単に悟られるような軍事行動を取るとは考えにくく、これも謙信伝説の一つと考えています。推測ですが、武田軍は堂々と煮炊きをしていたもので、これは退陣の準備であったのでしょう。それがどうして、本陣同士が直接ぶつかり合う程の大戦になったのか?この点が勘助の戦術が失敗したのかどうかの帰趨を決する点です。

 川中島合戦が甲陽軍鑑に記されているように旧暦9月10日なのか、それともその他の資料にあるように9月4日なのか、それによって前夜の月明かり、当日の朝霧など自然条件に違いが生まれてきます。意外にも、気象条件が開戦の口火となった可能性があります。ただし、この日付自体も、武田上杉両家の伝説化の中で作られたものかもしれませんが。

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2007年6月 1日 (金)

亀戸と浮世絵

 江戸時代、亀戸にあった梅園を広重が『名所江戸百景』として描き、それを印象派の画家ゴッホが模写したことに触れるブログを書きましたが、お陰様で、息子のファンの方からコメントまでいただいたり、若い人にも多少の感銘を持っていただけたようです。

 ただし、浮世絵師との関連では、広重と同時代、亀戸には、もっと高名な絵師が住していたことを忘れていました。「亀戸豊国」とも呼ばれた、江戸後期歌川派の総帥「歌川(三代)豊国」です。はじめ、本所のアトリエでは「五渡亭」を、亀戸では「香蝶楼」を書斎(仕事場)の名として使用していたようですが、亀戸ではもう一つこんな落款が使用されています。すなわち、「北梅戸」というものです。

 これは、まさに、梅で有名であった亀戸の地にて絵を描きあげた際のものです。たぶん、梅の花咲く二月頃(旧暦)、当地で仕事をした折り使用したのでしょう。言葉とはおもしろいものです。いろいろなイメージがふくらんできます。

 さて、「亀戸豊国」と呼ばれるのには理由があって、実は「本郷豊国」と区別するためで、今日、亀戸豊国を三代豊国、本郷豊国を二代豊国と呼んで区別しています。豊国襲名を巡っていささかの問題があって、このようなややこしい呼び名が生まれていますが、亀戸が浮世絵あるいは浮世絵師と係わり深い地であることには変わりありません。

 私は見聞したことはありませんが、、「北梅戸」の他に、「桃樹園」という落款もあるそうです。ということは、おそらく、亀戸には梅だけではなく、綺麗な桃の花園もあり、三月(旧暦)に仕事を完了したのでしょう。BLuckが亀戸で公演した5月25日は、旧暦では4月9日に当たり、3月3日桃の節句から一月、いよいよ初夏への入口です。当日は雨でしたが、これも慈雨です。二十四節気の「小満」の頃。草木がそこそこの大きさに育つ意です。

 季節もBLuckもまだまだ成長の過程です。

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