加賀屋敷
浮世絵伝統の鳥瞰的視点と西洋的遠近法を調和させながら、本郷通の加賀屋敷を描く、広重の作品です。実は、この西が中山道(木曾街道)の起点・板橋の宿となります。『絵本江戸土産第五編』に収められる詞書きには、「本郷と唱う所広しといえどもこの通りを以て第一とす」とあります。
さて、加賀藩の家中は、板橋から中山道を通り、碓氷を越え、信濃の追分から北国街道へ北に道をとり、善光寺を通って金沢を目指すわけですが、その江戸と金沢の丁度中間が牟礼宿にあたります。現在の長野県上水内郡飯綱町にあたります。
飯綱町に生活する私も、視点がどうしても東京に向かってしまいますが、冷静に考えてみれば、富山・金沢など西(日本海)側からの文化の流れにも注意が必要です。歴史的には、後者の流れが主流なのかもしれませんが…。長野新幹線がどうしても金沢まで行かなければならないのは、前田公の歴史を超えた思いなのかもしれません。
子供の頃、東京大学の赤門の前で、祖父か父いずれか記憶が曖昧ですが、先祖に係わる建物だぞと話していたのを覚えています。加賀支藩所属の武士であったそうで、後に、一族郎党とともに北海道開拓に参加しました。映画『北の零年』そのものです。そんな先祖も持つ私達家族がこの飯綱町にいるのも、なにか因縁を感じます。
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