山本勘助(4)
『本朝廿四孝』を題材にした浮世絵(役者絵)では、山本勘助は、「筍掘り」の場面の、両眼の勘助として描かれるものがほとんどです。話のなかでは、その後、勘助は右目を抉って、隻眼となります。一方、武者絵に描かれる勘助では、潰れている目は、右目あるいは左目、とくに決まっていないようで、作品によって異なっています。
最近、「左目に隠された神秘の超常能力」(『ムー四月号』学習研究社)と題する文章を見る機会がありましたが、左目と超能力との関係を述べるなかで、勘助は左目が悪く、左目が悪い人は能力者が多いと結論づけています。勘助を超能力者として構成しようとすれば、右目一眼の勘助像ができあがることになります。
これは、たびたび述べていることですが、人物像は、それを創り上げた人の思いを託されて生まれてきます。『甲陽軍艦』において、五体不虞、隻眼と記述される軍師勘助に託されたものは何なのか、これを慎重に読み解くことが肝要です。実は、『甲陽軍艦』は武田信玄を名将として描くことが一つの目的とされているようです。したがって、信玄像と勘助像とは一対のものとして理解する必要があります。
近松門左衛門の『信州川中島合戦』では、武田信玄は劉備玄徳の三顧の礼を習って、雪中に諸葛亮孔明に擬せられた勘助を訪れます。これなどもその典型で、名将武田信玄あっての、名軍師勘助です。
詳細は、また、別の機会に触れるとして、先ほどの『ムー』によれば、山本勘助と宜保愛子の知られざる共通点が、実は左目が不自由であったことであるとされています。「見えない世界」がブームになりつつある今日、勘助がこういう形で再登場するとは、私も想像していませんでした。
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