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2007年3月29日 (木)

山本勘助(4)

 『本朝廿四孝』を題材にした浮世絵(役者絵)では、山本勘助は、「筍掘り」の場面の、両眼の勘助として描かれるものがほとんどです。話のなかでは、その後、勘助は右目を抉って、隻眼となります。一方、武者絵に描かれる勘助では、潰れている目は、右目あるいは左目、とくに決まっていないようで、作品によって異なっています。
 最近、「左目に隠された神秘の超常能力」(『ムー四月号』学習研究社)と題する文章を見る機会がありましたが、左目と超能力との関係を述べるなかで、勘助は左目が悪く、左目が悪い人は能力者が多いと結論づけています。勘助を超能力者として構成しようとすれば、右目一眼の勘助像ができあがることになります。
 これは、たびたび述べていることですが、人物像は、それを創り上げた人の思いを託されて生まれてきます。『甲陽軍艦』において、五体不虞、隻眼と記述される軍師勘助に託されたものは何なのか、これを慎重に読み解くことが肝要です。実は、『甲陽軍艦』は武田信玄を名将として描くことが一つの目的とされているようです。したがって、信玄像と勘助像とは一対のものとして理解する必要があります。
 近松門左衛門の『信州川中島合戦』では、武田信玄は劉備玄徳の三顧の礼を習って、雪中に諸葛亮孔明に擬せられた勘助を訪れます。これなどもその典型で、名将武田信玄あっての、名軍師勘助です。
 詳細は、また、別の機会に触れるとして、先ほどの『ムー』によれば、山本勘助と宜保愛子の知られざる共通点が、実は左目が不自由であったことであるとされています。「見えない世界」がブームになりつつある今日、勘助がこういう形で再登場するとは、私も想像していませんでした。

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2007年3月 5日 (月)

浮世絵になる風景(3)

Iizuna  3月3日(土)、私が初めて地域授業で「浮世絵講座」を担当した生徒達が高校を卒業していきました。高校は「五山が丘」と呼ばれる立地にあり、斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯綱の各山々が展望できる、まことに風光明媚なところです。たぶん、地元を離れ、都会の喧噪の中で暮らして、ようやく、自分たちが美しいふるさとで生活していたことに気付くのでしょう。

 その時頭に思い浮かぶ風景を、広重の風景画のごとく、浮世絵タッチになつかしく思い描いてくれれば、講座の役目は一応成功したという考えです。東海道五十三次など、広重の風景は思い出の中の風景を描いていることがしばしばで、したがって、若い人達が浮世絵の風景を理解するには、「思い出体験」が必要であると感じています。

 現実の風景と思い出の中の風景とを調和させる作業が、浮世絵や日本の伝統的文化に立脚した「景観保護」となっていくはずです。こんな、希有壮大なことを考えながら浮世絵講座をしていますが、その成果がでるのはかなり先になりそうです。

 卒業生はもちろん自覚しているとは思いますが、浮世絵講座だけではなく、受験優先の高校では決して学べないユニークな「地域授業」を展開している母校を誇りにしてくださいね。卒業、おめでとう!!

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