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山本勘助

Kansuke2 NHK大河ドラマにおいて、いよいよ風林火山の山本勘助が始まりました。その第二回目で、勘助は「大林」姓から「山本」姓の勘助に復したわけですが、実の父母もなく、兄弟に命を狙われ、隻眼、片足も悪いという風貌です。
 ところで、役者絵をベースにした浮世絵に登場する勘助には、母が登場しますし、兄弟との関係では、勘助の方が暴れ者で、しかも両眼です。国芳などの武者絵をベースにした勘助像は、隻眼、片足不虞の武将として描かれていますが、これは、『甲陽軍鑑』の記述にしたがったものといえましょう。
 大河ドラマは、一定の事実に基づきつつも、やはり、ドラマですから、当然に脚色が施されています。同じ事は、浮世絵の表現においてもいえることで、役者絵ならば、狂言仕立てになっているわけですし、武者絵ならば、伝説化の作業が施されているわけです。同じ勘助を扱っていても、現代の視聴者や江戸庶民から仮託された思いの違いによって、勘助の風貌、容貌、活躍などは違ってきます。
 江戸時代では、隻眼の勘助には、異能の人、したがって軍師に相応しいイメージが付与されているように思われます。また、母や兄弟との係わりでは、儒教的な孝がテーマになっているようです。これに対して、隻眼、足も悪い、父母はすでになく、(実あるいは義理の)兄弟からも憎まれるという現代の勘助には、いじめや差別に負けない、非常に今日的な問題を背負った人物としての活躍が期待されているのではないでしょうか?
 ところで、ドラマの冒頭、大百足が画面に表れますが、これは、武田の百足隊のイメージからきているのでしょうか、それとも、金属鉱物学のいう黄金を象徴する大百足なのでしょうか。その大百足には、片目を弓で射られて退治されるという伝説があります。一方、金属鍛冶の神は、片目であるともいわれています。勘助は百足になるのか、それとも神になるのか、今後の活躍が楽しみです。

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浮世絵になる風景(2)

Miyage52Miyage51 左の作品は、歌川広重の『絵本江戸土産(第五編)』の「根岸の里」風景です。手前の川岸では、女性を含めた三人が野菜を洗っているようですし、子供と何かやり取りしています。向こう岸には、杖を突いた老人と従者が歩いています。

 広重が描いた、この「生活」景は、実は、とうに根岸にはないのかもしれませんが、私が信州にやってきた頃には、わが家の周りの現実の風景でした。家の隣を流れる堰には、蛍が飛び回り、玄関の靴の中には、よく沢蟹が潜んでいたものでした。今では、護岸工事は完成し、川は直線に一気に流れ、堰には蓋がされています。

 さすがに町でも、田舎の風景が美しい景観に値すると気が付き始めましたが、東京からわが町に生活の居を移したある高名な方は、その景観の中に、サルビアの花畑を作ってはどうかという提言をしています。もちろん、スキー場のゲレンデに限っての話ではありますが、それにすぐに飛びついてしまいそうな人達がわが町には決して少なくはありません。風景を風景として独立に考えては、良い結果に結びつかないと思うのですが…

 また、中間山間地の補助金事業の一環で、いままでほとんど栽培されてこなかった花や植物をいきなり道路脇に植えるのも、もう一つ考えが必要です。生活から離れた事業は、最初の思いや資金がなくなった途端に中断するものです。

 広重の描く風景は、「生活」景であるという指摘は、実に重要なのです。

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