隅田川の東岸から両国橋の向こうに、夕暮れ時の富士を見る作品です。墨の天ぼかしが画面を引き締め、残照に照らされる富士の陰影が効果的に描かれています。多くの解説によって、船頭の禿頭を中心に、両国橋と渡し船とが点対称になっていることが指摘されています。北斎にしては珍しく情緒が感じられる作品です。
近景に富士(神霊)世界を描くのが冨嶽シリーズの主題であるというのが、本ブロブの視点でした。この見地からすると、近景の渡し船を中心とした庶民生活は、どのようにして富士世界と結びつくのでしょうか?大きなヒントは、両国橋と渡し船とが点対称になっているという従来からの指摘です。北斎が敢えてこのような構図を取り入れたのは、絵画技術の問題からではなく、一定のメッセージが含まれていると思うのです。
背後の両国橋は、直接富士に繋がっているように描写されています。したがって、点対称である渡し船も富士に繋がっているという含意がそこにあるのです。北斎は、この意を明確にするために、船頭を含め渡し船に乗っている者の視線を富士に向けさせました。それによって、本作品を見る者は、富士とこの渡し船とが結ばれていると理解するのです。船頭の持つ魯と船体後部とで小さな富士の三角(△)を作っているのも、それをさらに補強しようとしているのかもしれません。
両国橋という名によって、此岸と彼岸を結ぶ架け橋のイメージが一層強められますが、その橋と同じ役割を渡し船も担っているからこそ、点対称という絵組みで描かれているのです。一見すると、船上の人々は遠くに夕景の「彼岸の富士」を眺めているようなのですが、じつは、此岸で直接富士世界に触れているのです。それは、船上の蛇の目傘の丸においても再確認されます。冨嶽シリーズでは丸(○)は富士神霊の当体を表していました。「深川橋万年橋下」において、橋の上に描かれた富士と同系色・藍色の傘の丸の役割を思い起こして欲しいのです。
これは奇策ですが、思い切って本作品を逆さまにして見てみると、船の櫓と手前にある民家の屋根とが渡し船に繋がる富士の三角を作っており、その三角の中で女性が洗濯をしていることに気付きます。この女性こそ、此岸の木花開耶姫に違いありません。船上で一人の男が手拭いを川の水に濡らしているのも、浮世の木花開耶姫との繋がりを表すものです。
それにしても、渡し船の乗客には、船先の渡世人風の者、長い鳥刺し棒を持つ人物、按摩等々、そして山に三つ巴という版元永寿堂の商標紋の風呂敷包みを背負う男など、興味のある人物像が描きこまれています。でも、みんな等しく富士(神霊)世界に抱かれているのですよ、という声がどこから聞こえてくるような気がします。
*掲載の資料は、アダチ版画です。
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