Zepp Sapporo

Dscn1017  長男のライブに招待され、二年ぶりに札幌に行って来ました。ビーラクの実力も各段に進歩し、メンバーの絆も厚く、家族全員安心しています。

 長男(圭)のオフにあわせて、家族と北大構内を散策しました。元祖クラーク博士の前で、記念写真というわけです。博士の後ろの白樺の木が、在学中当時から比べて著しく大きくなり、高さが倍以上になっているのは非常な驚きでした。それに反して、構内の楡やポプラが老木化したのでしょう、あらかた切られていたのは残念でした。なお、私の顔が赤いのは、直前にワインを飲んでいたからです。長男のジャケットの色に合わせたわけではありませんが、相変わらず、アルコールには弱くて…

 末の弟(ヒロト)は、このあと長男のアパートに一泊し、アパート内にあったものをかってにバックに詰めて帰ってきたようです。お気に入りの帽子がないと長男がこぼしていました。そういえば、洸人は、ビーラックのメンバーの福田君からも腕時計を貰って喜んでいましたよ。大ちゃん、ウッキーの弟、福田君の妹さんとも「タメ」で、ライブのあと盛り上がっていました。

 「忙中閑あり」を実感した札幌での旅行でした。

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冨嶽三十六景「東海道江尻田子の浦略図」

Hokusai36 東海道吉原宿の沖から、浜の塩焼きと富士を眺望する作品と思われます。田子の浦は、古くからの歌枕の地で、万葉の歌人山部赤人の歌「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」や、大中臣能宣の歌「田子の浦にかすみのかく見ゆる哉もしほの煙立やそふらん」などの和歌があります。これら和歌の景色をこの当時の風景と置き換えて描いたのが、本作品でしょう。その意味で、「略図」(やつしえ)とされているのだと思われます。(『富嶽百景』「文邉の不二」参照)

 もちろん、冨嶽シリーズの主題は、浮世に富士世界を発見するところにあるので、近景の二艘の船と富士との結ぶつきをよく考えてみる必要があります。さて、船体が描く弧と富士の稜線とが相似であることにお気づきでしょうか。船上の人々は富士の峰で仕事をしているかのような絵組みとされています。近景の二艘の船、さらに浜に近いところのもう二艘の船も、ともに富士の稜線と相競って、船体のカーブをこちらに見せています。したがって、船に乗っている人達も、気付かないうちに富士の世界に包まれているのです。

 今度は、反対に、富士の稜線を船体の弧と見てみると、富士は天空の二艘の船の間の波しぶきに感じられませんか?残雪の鹿子模様が、藍色の海に刎ねる、白い波しぶきと見えます。もし、富嶽シリーズの最初の一枚が、「神奈川沖浪裏」とするならば、海の波から生まれた富士が、「東海道江尻田子の浦略図」では、波しぶきの富士として成長した姿となって描かれているのです。ちょと、ロマンチックな見方でしょう。「東海道江尻田子の浦略図」という題名は、「駿州江尻」に対して、「東海道江尻」ということですが、冨嶽シリーズの三十六枚目、絵の尻(最後)とも考えられます。

 波の富士とそこを漕ぐ船、波のしぶきの富士とそこを漕ぎ進む船、初めと終わりに共通する主題が選ばれているように思うのですが、冨嶽シリーズを全体として眺めてみると従来見落とされていた、面白い発見があるように思います。上に述べたことも、その一つと考えています。ちなみに、「浪裏」から始まり、「田子の浦」で終わるという語呂合わせもあります。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「江戸日本橋」

Hokusai26  徳川幕府の都市計画の真髄を見せる風景です。日本橋川の両岸に並ぶ蔵が透視遠近法で描かれ、その消失点・一石橋から上に、千代田城、富士を積み重ね、その部分については東洋的三分的遠近法に従っています。また、川の右岸の蔵並は、厳格には透視遠近法には従わず、途中で建物がスケールアップして東洋的遠近法との折衷と言えます。

 画法はともかく、日本橋からの典型的眺めであって、多くの浮世絵師も描いている、いわば官製の風景です。ただし、子細に観察してみると、右岸の船の舳先は、千代田城ではなくて、富士に向いているようです。この辺りに、富士と庶民生活を強く結びつけようとする北斎の意図の片鱗を発見できるのですが、手前に描かれる、日本橋の上を行き交う庶民と富士とが何となくよそよそしく映ります。なぜなら、橋の上の人々は、富士を見るわけでもなく、といって城に目を向けるわけでもないからです。

 そもそも、日本橋は擬宝珠以外ほとんど描かれていないのです。「深川万年橋下」と対比すると、言わば「日本橋上」とでも名付けたほうがよいような作品です。富士(神霊)世界は、下町の橋の下にこそあって、御上の橋の上にはないとでも言うのでしょうか。はじめは私もそのように理解しつつも、四民平等を謳う富士信仰を絵画的に表現する冨嶽シリーズにはいささかそぐわないとも感じていました。

 そこで、もう一度作品を見直してみましょう。そうすると、近景の雑踏の庶民を底辺に、日本橋川の石垣が二辺を成して、大きな富士に相似する三角が発見されます。船上の人々、荷物を積み降ろす河岸の人々、そして橋の上の人々も、そのほとんどがこの三角に収まってしまうのです。庶民生活が富士世界に包摂されていることが、絵画的に明確に表現されています。おそらく、冨嶽シリーズ中、最大の浮世に見つけられた三角(△)だと思われます。こうして、「日本橋上」にも、富士(神霊)世界があることが判ります。

 富士が遠くから庶民生活を見守っているどころか、庶民が富士の一辺(底辺)を形作っているというのが、北斎のメッセージなのだと思います。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「武州玉川」

Hokusai10 近景の岸辺、中景の玉川、遠景の富士という三層の景色を繋ぎ合わせたシンプルな構図です。そこに渡し場があり、渡し船が対岸に進み、手前では馬子が荷物を運んでいるようです。川は多くの場合、村や国の境を成していますから、本作品は「結界(境界)の富士」図に該当します。また、川に架かる橋や渡し船は、此岸と彼岸を結ぶものとして、象徴的意味を持たされることが多いと言えます。

 当ブログでは、北斎は、冨嶽シリーズで庶民生活と富士(神霊)世界とを強く結びつけて描いているという立場です。とすると、「武州玉川」では、渡し船や馬子などは、富士とどう結びついているのでしょうか。ここで重要な役割を果たしているのは、中景の玉川の表現です。すやり霞によって、玉川の対岸が隠されているので、濃い藍色の波立つ川の流れの部分と遠景の富士の峰の藍色の部分が繋がり一体となっているように見えます。つまり、玉川の流れだと思っていたところが、富士の峰の一部となっており、逆に富士と思っていたところから、玉川の水が流れ出してくるようにも見えるのです。

 渡し船は、富士の峰を進んでおり、馬子は富士の裾野を歩いているのです。玉川のこんな奇景を、北斎は日常の中に見つけ出しました。「武州玉川」が富士そのものであることが判れば、そこに生活する庶民は、自ずと富士世界に包容されていることが理解されましょう。冨嶽シリーズでは、中景の曖昧さや両義性が非常に有効に使用され、これによって、本来は異なる近景と遠景とが連続的に一つの絵になっているのです。

 富士神霊を水神と見れば、ごく自然な理解だとは思うのですが。さらに、流れる川の部分全体に空摺りが入れてあるのも、玉川の神秘性の表現と見て取れます。単純な構図だけに、従来より、本作品の正確な意味は理解されてこなかったのではないでしょうか。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「御厩川岸より両國橋夕陽見」

Hokusai32  隅田川の東岸から両国橋の向こうに、夕暮れ時の富士を見る作品です。墨の天ぼかしが画面を引き締め、残照に照らされる富士の陰影が効果的に描かれています。多くの解説によって、船頭の禿頭を中心に、両国橋と渡し船とが点対称になっていることが指摘されています。北斎にしては珍しく情緒が感じられる作品です。

 近景に富士(神霊)世界を描くのが冨嶽シリーズの主題であるというのが、本ブロブの視点でした。この見地からすると、近景の渡し船を中心とした庶民生活は、どのようにして富士世界と結びつくのでしょうか?大きなヒントは、両国橋と渡し船とが点対称になっているという従来からの指摘です。北斎が敢えてこのような構図を取り入れたのは、絵画技術の問題からではなく、一定のメッセージが含まれていると思うのです。

 背後の両国橋は、直接富士に繋がっているように描写されています。したがって、点対称である渡し船も富士に繋がっているという含意がそこにあるのです。北斎は、この意を明確にするために、船頭を含め渡し船に乗っている者の視線を富士に向けさせました。それによって、本作品を見る者は、富士とこの渡し船とが結ばれていると理解するのです。船頭の持つ魯と船体後部とで小さな富士の三角(△)を作っているのも、それをさらに補強しようとしているのかもしれません。

 両国橋という名によって、此岸と彼岸を結ぶ架け橋のイメージが一層強められますが、その橋と同じ役割を渡し船も担っているからこそ、点対称という絵組みで描かれているのです。一見すると、船上の人々は遠くに夕景の「彼岸の富士」を眺めているようなのですが、じつは、此岸で直接富士世界に触れているのです。それは、船上の蛇の目傘の丸においても再確認されます。冨嶽シリーズでは丸(○)は富士神霊の当体を表していました。「深川橋万年橋下」において、橋の上に描かれた富士と同系色・藍色の傘の丸の役割を思い起こして欲しいのです。

 これは奇策ですが、思い切って本作品を逆さまにして見てみると、船の櫓と手前にある民家の屋根とが渡し船に繋がる富士の三角を作っており、その三角の中で女性が洗濯をしていることに気付きます。この女性こそ、此岸の木花開耶姫に違いありません。船上で一人の男が手拭いを川の水に濡らしているのも、浮世の木花開耶姫との繋がりを表すものです。

 それにしても、渡し船の乗客には、船先の渡世人風の者、長い鳥刺し棒を持つ人物、按摩等々、そして山に三つ巴という版元永寿堂の商標紋の風呂敷包みを背負う男など、興味のある人物像が描きこまれています。でも、みんな等しく富士(神霊)世界に抱かれているのですよ、という声がどこから聞こえてくるような気がします。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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